・岩屋梨生産組合は2009年で結成53年目を迎えます。 |
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< 1 岩屋集落の梨づくりに賭ける情熱 >
若狭町岩屋集落の梨づくりは、一集落単独で「岩屋の梨」として特産産地を形成してきたことが大きな特長です。
岩屋の梨づくりは、若狭町を「果物の産地」にしようと昭和31年に6人の青年グループで栽培を開始したのが始まりです。
農業に夢を託した青年有志による梨づくりは半世紀を超えます。青年有志の中心であった瀬尾圭二さんは良き相談役として現役で、現在も熱心に導入品種を探求している真のパイオニアです。
 
< 2 産地を支える"母ちゃん"のパワー >
栽培から選果場の出役まで岩屋の梨づくりに係る多くの作業は、岩屋の"母ちゃん達"が担っています。
現在も、集出荷や選果場の運営は、組合員のご夫婦が荷受、検査、箱詰め、整函、出荷を当番制で対応しています。
近年まで、販売も組合独自で運営し、すべての会計を管理してきた歴史もあります。
栽培講習会から出荷目揃い会まで、講習会や研修会は夫婦で参加する!というのが、岩屋の"母ちゃん"の梨づくりの心意気です。
岩屋の梨は、観光梨狩り園の共同運営や宅急便などの販売まで、地域の独自性を活かして女性のチームワークで運営しています。
 
< 3 風にも病気にも負けない対策"完全共同防除"の実践 >
近くの三十三間山から吹きおろす台風並の春先の季節風や三十三間山に雪雲があたっての雪害、近年においては、開花時期の降雹被害や台風被害など、山を背にして風の強い岩屋集落は決して梨づくりには恵まれていません。
加えて、主力品種の20世紀梨という品種は、黒斑病という病気に弱い弱点がありました。20世紀梨の栽培は、黒斑病との戦いともいわれるほどです。
そこで、全ての園地を当番制のオペレーターを組織して共同防除を実践しています。
一産地による完全な共同防除の実践は大変珍しいそうで、岩屋の梨の一致団結した活動の成果でもあります。
近年は、防風・防鳥・防蛾を目的とした多目的ネットも共同で施工して管理の徹底を図っています。
 
< 4 団塊の世代の"父ちゃん"を迎えて新たな風 >
生産者数50名、栽培面積10haを誇った栽培規模は、平成19年現在で生産者数22名、栽培面積6haと減少しています。高齢化の問題も心配です。
しかし、定年により帰農された団塊の世代の"父ちゃん"を新たな組織幹部に迎えて岩屋の梨づくりは活性化しています。
県内の果樹栽培では初めての取組みとなる集団での減農薬・減化学肥料栽培の実践など、新たな視点とこれまでの母体がよりよく機能し、岩屋の梨づくりは新たなチャレンジを始めています。
地域で生まれた特産への愛着、組織一丸となった活動の醸成から生まれた新たなチャレンジに期待して下さい。
 
おいしい梨がお届けできるよう組合員全員で頑張ります。皆様の応援もよろしくお願い致します。
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< 贈 ・ 公会堂へ(一九九二年) 瀬尾みさ >
大正時代、三方の南部地域は“蚕都十村”といわれるほど養蚕が盛んで、特に岩屋はその中心地でした。
当時は、コメ1俵と繭1貫(約4kg)がほぼ同じ価格で、米作よりも養蚕に力を入れる農家が多かったといいます。現在ナシ園となっているところは、桑畑でした。
最盛期には、岩屋、田上、向笠、成出、海山などに製糸工場があり、そこで多くの女性が働きました。
昭和初期には、小浜線の十村駅近くに、福井県養蚕試験場嶺南支場が開設されていまいた。十村の有志が敷地や建物を寄付して誘致したもので、当時の太い門柱と建物が今も残っています。繭景気で潤った時代で、十村駅周辺には銀行の支店や劇場もでき、商店が立ち並びました。
しかし、1929(昭和4年)に起きた世界恐慌で生糸や繭の価格が暴落。その後、戦時体制が強化されるに従い、養蚕業は軍需産業に圧迫されて縮小し、桑園は食料増産のための作物畑へと変わっていきました。製糸工場も相次いで閉鎖され、養蚕試験場嶺南支場は舞鶴被服所軍需工場になりました。
戦後間もなく、養蚕の代わりとして葉タバコが奨励され、農家の多くは無用となった桑の木を掘り起こして、葉タバコ栽培に取り組みました。
助成金で班や組ごとに乾燥場を建て、昭和27年ころは、三方地区一帯で広く栽培されるようになりました。
しかし、葉タバコが連作を嫌うことや、買い上げ価格が安くて採算がとれないことからなどから、栽培をやめる農家が続きました。
そうしたなかで、昭和30年ころから岩屋地区の青年グループは果樹の栽培を考え始めます。瀬尾圭二さんは、当時のことを次のように話します。
「最初、ミカンにねらいをつけたのですが、岩屋の冬の気温では栽培が難しいことがわかりました。何がいいかと金津町細呂木の県の試験場を訪ねた時に、現地に梨が栽培されているのを見ました。
岩屋は春先に三十三間山から台風のような強い風がふきおろします。それでも可能かどうか気がかりでしたが、同じように細呂木も風の強いところだということで、梨なら大丈夫だと判断しました。
栽培を始めてからも、周りから「岩屋のような風の強いところで梨なんか出来るか」といわれ、逆に私達を奮い立たせるバネになりました。生産者が自分の意思で梨を選び、よりおいしいものを育てようと一生懸命に取り組んだことが、今日の産地形成につながっています。
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